メメント・モリによろしく

あの世へのHeartBeat 熱く熱く、とめられない!

思い出ぼろぼろ

予定より4時間早く目が覚めたので(6時半前ですが)1年程前の話をします。

10月31日。母親は”死にそう”な私を入院させフランスへ。後々諍いの元となり、自分の人生楽しみたいからあなたに邪魔されたくないと吐き捨てられ荒んだものです。そしてネット上で心中企図をした。途中から連絡が来なくなり諦めたところにまた連絡、途切れてまた誘ってくる。概念のような存在であるネット上の人間と心中企図を起こしたことがまず頭おかしいんですが途中で逃げてまた擦り寄ってくるあのスタンスには憤りを禁じ得ない

11月に入り(生きてた)寒さも厳しくなると同時に、私は境界例的な思考に傾いていった(入院先でのロールシャッハでは心性扱いだったがロールシャッハのみで診断するのはどうも心許ない)
寒さのせいか、孤独感・孤立感は増し、全休にしていた木曜日前は、買ったクレモナロープとぶら下がり健康器を肴に梅酒かワインを飲み、ODする。クレモナロープには拘った。土曜か金曜も頻繁にしていた。こうまでして無理矢理大学に行ったのは、後にアレな人間だと分かった奴が好きだったから。今考えると至極馬鹿馬鹿しく、時間や労力を返せといいたくなる。気持ちの悪いことに、依存していたらしい。

そして中旬に入り、思考はどんどん破滅的になり、私は飛び降りることにした。
ところが、ラリってから逝くつもりだったのに薬が、酒が、全く回らない。14階まで登って、下で工事をやってる人達と目が合い、情けないことに死に切れなかったら、と不安ばかりになり、私は行ったり来たりを繰り返した。挙句、途中から立ち上がれなくなりタクシーで帰宅。クズオブクズ。

12月になってからはもっと酷かった。私の中で、失恋したら死のうと決まっていたので、もやい結びもどきを完成させておいた。失恋したその日にすぐ、首を吊るため思い切り椅子を蹴ったら装置が前に傾き崩壊。薬と酒は勿論入れていたので酩酊状態で直そうと躍起になったところ部品をぶっ刺し指に穴が空いた。止まらない血。

そこからはもうやけくそで何度も吊ろうとしてみたりこだわりのクレモナロープがダメならとサマンサの鞄紐を駄目にした。
昏倒したようで、朝になってからまだ流れる血を見て「ああ生きてるんだな」と思った。それは決してプラスの意味ではない。

この数日後は、逝きかけた。いわゆる非定型というタイプにシフトしたのだ。これが案外うまく行きそうで、視界が白み、手足の感覚が失せ、次第に痙攣していった。首はロープが食い込んで痛いには痛いが取り立てて苦しいということもなかった。なのに、クズオブクズの私ときたら、ここで引き返さなければ後遺症…と頭をよぎり、これが非定型の難点なのだが、自分で縄から出てしまった。あの時死んでいれば、と折に触れて感じる。
つい最近、ファイルに入ったルーズリーフの束を目にした。そこにはハイパーベンチレーションの方法や、頸動脈の位置、ネットや本から集めた、未遂者から学ぶ青字のケーススタディ(完全自殺マニュアルのパクリです。この血染めの完全自殺マニュアルはまだたまに表紙を撫でたりする)などが結構詳細に図付きで記されていた。これを見ていて何だか悲しくなった。いつも今が最悪だと思ってきたけど、自殺に対してポジティブ有り余る姿勢は、充分に狂気的じゃないか。

その後も未遂は繰り返した。何故自分は”死ねない”側の人間なのかと完遂者を恨んだ。最近では、ひょっとすると私はこれからも死ねないのではないかと思う。それは物凄く恐ろしい。と同時に、生きていてもいいと思える状態になったらどんなにいいか。死を前提としない感覚に憧れる。




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冬は嫌いなんだけどね




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十四松とクレモナロープ




ジェシカすごい。




今日は今日で、母親が新興宗教にのめり込んだりジェル状の塊からおそ松とカラ松を生成したり大変でした(夢の中)